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 かめぱぱの心のファインダー

幸福の科学信者のエッセイブログ

08/13のツイートまとめ 

nippori77

ひさしぶりの・・・です。
08-13 10:36

いままで参院選がらみでしたがいまは通常モードでいこう。。
08-13 10:37

父が8月1日にあの世の旅だった。葬儀は直葬にした・・・・。我が家では初めてだったこともあり、混乱もあった・・・・。
08-13 10:40

家族葬という形でしたが多くの方がお別れに来てくださった。。  感謝
08-13 10:42

で、ぼくの家族は幸福の科学の信者なのであらためて支部精舎で帰天式をさせていただくことになりました。。
08-13 10:43

8月15日の終戦記念日、父は戦争体験者で南方から支那(当時の言葉です)にもいっていました。ぼくが子どものころ話を聞いたのですが記憶が・・・・・。いい加減なことも書けないのでなんですが帰天式が15日とは・・・・
08-13 10:48

ちちも戦争の清算ができることと思っています。
08-13 10:49

15日の帰天式で導師が父のエピソードを一、二分紹介してくださるとのこと・・・いっぱいあって困りましたが・・・ここでまとめようと思って、今つぶやいています・・・。
08-13 10:53

父は大正10年11月15日生まれ、尋常小学校を出て丁稚奉公、盆と正月しか親元へは帰れなかったそうです。父親母親に対する思いは強かったみたいでお土産を必ず持って帰ったそうです・・。
08-13 10:58

そんな父ですが両親を早く亡くし、お姉さんがぼくの代まで何かと面倒を見てくれました。。
08-13 11:00

父が信仰の道に入ったのは両親を供養するという思いからで先祖供養の新宗教に入り、死ぬまで先祖供養をしていました・・
08-13 11:02

ぼくが幸福の科学の信者になってからもそれは変わらず、父が幸福の科学に理解(信者)してくれてからも「俺は先祖供養をこれからもやって行くから」と死ぬまで一つの信仰を貫きとおしました・・・。
08-13 11:07

父のエピソードというか思い出になりますが・・・。
08-13 11:08

ぼくが子どものころは夫婦げんかが絶えず・・・子どもながらに父をぶん殴ったことがあります・・・。父は必ず、親に対して何をする・・・といっってきました・・・。
08-13 11:10

その当時は父の母に対する暴力しか見えていませんでしたが父親としての責任の重さに耐えていた・・・親に対する愛情の深さ・・・・父を追いつめていた母・・・そして、ぼく・・・・。いまはいろんなことが見えています。。
08-13 11:14

親父の背中におぶさって医者に連れて行ってもらったこと・・・・小学校六年生の時、交通事故にあって、足の骨にひびが入った時、あり合わせの材料で松葉つえ作ってくれた父。。
08-13 11:18

ぼくらは5人兄弟だったので生活は大変でした・・・正月のお年玉をぼくらにくれたあとはお金が残ってなかったとよく話していました・・・。
08-13 11:21

ちちが50歳当時、父は日本で五本の指に入る医療器械器具製作の職人でした。。
08-13 11:23

その父がパキスタンに技術指導に出かけました。当時父が勤めていた兄弟の会社がパキスタンの会社から医療器具を輸入することになりましたが製品はあまりにも粗悪で医療現場に納品できる状態でなかったので、父が直していましたが・・・
08-13 11:29

もう限界で、現地に飛んで一から指導しなければということになったのでした・・・。
08-13 11:29

もちろん、ぼくたち家族は反対でした・・・。しかし父は反対を押し切ってパキスタンへ単身で乗り込んでいきました。英語も話せないのに・・・・・。
08-13 11:31

パキスタンはウルドウ語と英語、生活には苦労したようでした。しかし神様の技は指導力を発揮し、パキスタンの製品の品質を国際競争力に耐えるところまで向上させました・・・。
08-13 11:36

当時のカラチの日本人学校の校長先生だったと思いますが父の国際人的資質、チャレンジ精神、献身的といえるくらいの技術指導、日本人の誇りのような感じで機関紙に書いてくださったことを思い出します。。
08-13 11:40

父がまだパキスタンにいたときぼくはカラコルムを登るためインドから国境を越えてパキスタンへ入りました。そのとき父が向かえに来てくれましたがぼくがヒッピー見たいっだたので分からなかったそうです・・・・・。
08-13 11:45

これじゃ、一、二分で終わりませんね・・・
08-13 11:46

父は日本に帰った後、日本の業界からボイコット、村八分にされ二度と医療器具の製作現場には戻れませんでした・・・・。
08-13 11:48

パキスタンから安価で高品費つのものが入ってくるようになり、国内の製造業者たちに脅威を与えることになったからです・・・。
08-13 11:50

ぼくは日本の業界の狭い心、国際的視野のなさにあきれました・・・今でこそ国際的競争力はあたりまえでしたが当時は・・・・・なんですね。
08-13 11:56

父のパキスタンでの功績はパキスタンの経済発展に貢献したということだと思っています。
08-13 11:58

当時のパキスタンの子供たちは父がちょうど丁稚奉公した年代と同じ状況の子どもたちが多かったようです・・・
08-13 12:02

子どもたちが父母や家族を支えるために一生懸命働く姿に父は自分の持っているすべての技術をパキスタンの子どもたちや製造技術者に差し出したのだと今も思っています・・・。
08-13 12:04

日本に帰ってからの父はどうなったかというと・・
08-13 12:04

肉の万世に面接に行ったり、いろいろ職を探しましたが最終的にビルメンテナンスの下請けの職につきました・・・そこではだいぶ虐げられたそうです・・・。
08-13 12:07

それでも一生懸命働いている姿に清掃を頼んでいた会社。モービル石油の担当の方が父を見、モービルの営繕の担当として厚く可愛がっていただき、多くの社員の方の愛されたそうです・・・。
08-13 12:11

ここ数年はおふくろさんの介護や、ぼくたち家族が手の回らないところを支えてくれていました。
08-13 12:13

いまぼくは腰を痛めているのですが父の寝ていたベッドに寝て夜は母の介護をしています・・・。
08-13 12:14

父も腰椎を三か所圧迫骨折しており、寝ることも痛くて辛い中にありながら最後まで母や、家族、のためにたんたんと愛を与えてくれていました・・・。
08-13 12:16

もう、限界だったのですね。。本当に命を使いきった・・・そんなちちでした。
08-13 12:18

そんな父が亡くなった時、ぼくは宮沢賢治の天ニモ負ケズの一節を思い出していました・・。
08-13 12:20

じぶんをかんじょうにいれづよくみ ききし わかり  ・・・・・本当にそんな生き方の父でした。15日の帰天式では主エル・カンターレの大いなる御光に包まれ光の世界へと帰っていくことでしょう。。
08-13 12:25

親父さん!本当にありがとうございました!!そして、主の御光に包まれての帰天、本当におめでとうございます。。   息子より
08-13 12:28

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